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大内文化

京都と大陸の異文化ミックスは独特の香り

 大内文化とは、室町時代、山口を中心に栄えた文化のこと。24代大内弘世は、周防・長門を統一すると政庁を山口に移しました。将軍足利義詮に会うために京都に上った弘世は都のまちの様子や文化に感銘を受け、京と山口の地形が似ていることもあって山口で京を模したまちづくりを始めました。一の坂川を鴨川に見立て、まちを格子状に区画し、大路・小路といった名前をつけ、京都から文化人たちを招いて京風文化を取り入れました。また大内氏は朝鮮王朝や明国とも積極的に交易を行い非常に豊かな経済的基盤を築きましたが、同時に大陸文化が流れ込むことになりました。滅びるまでの約200年間、代々の当主も弘世にならって強大な経済力をバックに文化隆盛に努め、京や大陸の文化の影響を受けた独自の大内文化が生まれたのです。室町中期以降は戦乱で荒れた京都から多くの公家や文化人が大内氏を頼って山口に移ってきたこともあり、能や和歌、連歌なども盛んでした。山口の繁栄ぶりは京をしのぐほどだったとも言われ、ルイス・フロイスやフランシスコ・サビエルも手紙や報告書に書き記しています。

 その大内文化の香りと伝える代表格としてあげられるのが瑠璃光寺五重塔(国宝)。26代大内盛見(もりはる)が兄・義弘の菩提を弔うために建立したといわれています。全国に現存する五重塔(屋外)のうちで10番目に古いもので、檜皮葺の屋根、すっきりしたプロポーションが美しく、奈良の法隆寺、京都の醍醐寺の塔とともに「日本三名塔」のひとつに数えられます。

 瑠璃光寺のある香山公園と並びにある洞春寺(とうしゅんじ)の観音堂と山門は静かなたたずまい。毛利元就の菩提寺ですが、もともとは26代大内盛見が国清寺(こくしょうじ)を建立した場所で、国清寺は廃寺となり、跡に洞春寺が移されてきました。どちらも創建当時(15世紀)のもので国の重要文化財指定です。

 24代大内弘世が勧請した八坂神社の本殿(国重要文化財)は30代大内義興が建立した16世紀当時のものが残っています。龍福寺本堂(国重要文化財)は室町時代の代表的寺院建築。かつては大内氏の館があったところで、大内氏遺跡館跡として国指定史跡となっています。
香山公園周辺、八坂神社や龍福寺の建つ一の坂川・竪小路界隈を散策して大内文化の名残にふれてみてください。
また大内氏が招いた画聖・雪舟が築いたという庭「常栄寺雪舟庭」や雪舟が晩年を過ごしたアトリエ「雲谷庵(うんこくあん)」跡でも往時をしのぶことができます。

瑠璃光寺五重塔(国宝)
瑠璃光寺五重塔(国宝)

一の坂川
一の坂川

常栄寺雪舟庭
常栄寺雪舟庭